坂本龍馬大先生の大政奉還に関する活躍についても、色々言う人が少なくないので、史実に基づいて物申させていただく、
以下の史実を列挙させてきただく。
●坂本龍馬は薩長同盟の証人になっている。(史実)
●坂本龍馬は幕府の勝海舟の弟子であり、幕府の内部の状況を把握できる状態であり、可能な範囲内で頼み事もできる状態であった。勝海舟も大政奉還論者だった。(史実)
●坂本龍馬は勝海舟の仲介で大政奉還論者の大久保一翁に会って感銘をうけている。(史実)
●徳川慶喜に大政奉還の建白書を提出した土佐藩の後藤象二郎と坂本龍馬は当時ともに行動をしており、行動に影響を与えることが可能な距離間の存在だった。(史実)
後藤象二郎が大政奉還の実現のために動いたのは、坂本龍馬の影響がどのくらいであるという確固たる証拠はないと思うが、その当時行動をともにしていたのはまぎれもない史実である。坂本龍馬は大政奉還を強く望んでいるという史実があるなら、土佐藩の代表として大政奉還の建白書を提出できる立場の後藤象二郎が近くにいれば、全力の要望や主張や助言等をしないはずがない。
大政奉還は幕府、薩摩藩、長州藩、土佐藩、そして何より徳川慶喜の英断、様々要因の様々なバランスによって実現した。幕府、薩摩藩、長州藩、土佐藩に強固なパイプが坂本龍馬にあったのは史実である。歴史小説の創作を抜きにして、ほぼ確定の史実のみを考慮しても、坂本龍馬が大政奉還の実現の絶妙なバランサーになっていたという状況証拠は十分に揃っていると僕は思う。
坂本龍馬本人からすると、むしろ自身の活躍や功績はあまり知られたくない隠したい立場であったと思う。なぜなら、危険人物とみなされれば、すぐに暗殺される時代だったからだ。しかし、大政奉還の実現から約1ヶ月後に33歳の若さで暗殺された。
坂本龍馬は様々なところにパイプがあるがゆえに、暗殺はどの組織のものかわかりにくく、日本史のミステリーである。
コメント